腐女子をキモいと言う前に
現在観測 第10回
私が愛好するものは、「かけがえのない特別な親密さを持った男と男の関係性」および、それを生み出す「女(である私)のいない世界」である。そうした物語に性愛のメタファを重ねて愛でるので、私は「腐女子」と呼ばれる。
現実世界ではいつも、女がないがしろにされる世界にフラストレーションを溜めている。いわゆる「男社会」ってやつだ。男たちは互いの精神的な結びつきを強化するため、自分たちのフィールドから女性プレイヤーを排除したり、あるいは、我々をモノのように扱って共有したりする。いわゆる「ホモソーシャル」ってやつだ。「女は入れてやんねーよ」「女にはわかんねーんだよ」「だから女はダメなんだよ」と鼻先で門扉を閉ざされるたび、悔し涙を流しながら女の私はいつも、こうした実在の「怒り」を、非実在の「萌え」へと転化させてきた。
初めて「やおい同人誌」を読んだのは小学生のとき、まだセックスのメカニズムも知らなかった頃だが、少年漫画のキャラクターの敵対関係を「叶わぬ恋」と読み解き再構築する二次創作表現にすっかり魅了された。女性の同人作家たちが描く、こうした少年漫画の非公式なスピンオフは、「女のくせに」男しか出てこない漫画を好んで読むことに引け目を感じていた私の気持ちを、少し和らげてくれた。
これら二次創作の中では、欲望の主体と客体、いずれも男性の肉体を持っている。官能に溺れ快楽にあえぐキャラクターたちに劣情を煽られながら、男でも女でもない俯瞰の視点をもって、私はそれらを貪り読んだ。彼らの物語に、関係性に、セックスに、私が直接介入することはない。ただ眼差しだけの存在となって彼らの痴態を眺めるとき、私は私をいましめる女体の軛から、解放されたように感じていた。
現実の私は異性愛者で、実在するゲイを扱ったポルノグラフィにはそこまで興味がわかない。好きなのはあくまで虚構の物語世界、私が性的興奮をおぼえるのは同性愛ではなく、「男同士の親密すぎる関係性が、うっかり性的に見える」こと、そのものなのだった。我々を排除して営まれる、あの「男たちだけの世界」を、腐女子の色眼鏡を通して「恋や愛に似たもの」と捉えてみれば、憎悪の対象が萌えの対象へと転化されるのである。
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人間誰しも、見知らぬもの、異質なものには、まず恐怖をおぼえるものだ。自分と違う、理解を超えたものは、自己の領域を脅かすと思い込みがちで、慣れ親しんだ小さな視界からそれらを排除したいと願う。しかし、人類の歴史上に起こった数々の悲劇から多くを学んだ者たちは、その恐怖を克服して一歩踏み出し、新しい世界と交わってゆく。実際にその手で触れて初めて、共通点に気づき、差異を楽しめるようになる。
だから老若男女、この世に生きづらさを感じる人は誰でも、騙されたと思ってやおいやBLを読んでみればいいのに、と思う。「腐」の視点から男社会を俯瞰して私は、日々感じる不条理を軽く笑い飛ばすことさえできるようになった。最高にキモチいいセックスにあられもない姿で身悶える男たちを指一本触れずに眺めていると、なんだかいとおしい気持ちになってくる。ミソジニー(女性嫌悪)をぶつけられたってへっちゃらだ、睨まれたら微笑み返そう。私たちはただ、あなたがたと一緒に生きるこの同じ社会構造を、ちょっと別の色眼鏡で見ているだけ。
もちろん、あくまで個人的嗜好の話であり、地球上の全腐女子が私とそっくり同じことを考えているわけではない。これを読んで「やっぱり、腐女子はキモいなー」と思った人もいるだろう。しかしそれは腐女子全般ではなく、単に私個人がキモいだけの話である。己が欲望の客体となることに無自覚なまま、すべてを艶笑譚に書き換える「腐」の能力に驚き怯える男性たちの姿を愛でながら、今日もいとしきニマニマ笑いが止まらない。キモがる顔も、かわいいよ……。
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